院長紹介

院長

院長 笠島 康宏

カイロプラクティックとの出会い

1985年、中学生3年生の頃、体育の柔道授業で、畳の上で遊び半分で受け身をしていた時、腰に痛みを感じる。

その後、少年野球のリトルリーグの中学生版シニアリーグの練習中立てなくなるほどの腰痛に見舞われる。

このおかげでシニアリーグは辞めることになってしまった。高校生になり、ボクシングを始めプロになると決めましたが、再度腰痛になってしまう。

そのころに親の紹介で柏の某カイロプラクティックの治療を受ける。

正直そこでのカイロプラクティックで腰痛が治ったとは思えなかったが、アドバイスでサラシを腰に巻くように言われ、緩みやズレを神経質なほどに直して生活することで腰痛が無くなった。(今、考えると音だけ鳴らすことが目的のような施術だった)

当時受けたカイロプラクティックのボキボキが好きでボクシング辞めたらカイロプラくティックをやろうと思っていました。(このころは若かったのでボキボキがすっきりしましたが、この年齢(2021年51歳)になるとあまり受けたいと思いません)

 

ボクシング選手引退後は

ボクシングは最初茨城県つくば市から東京都葛飾区の立石にあるボクシングジム(現宮田ジム・当時東邦ボクシングジム)に通ったので、平日アルバイトで月謝&交通費を稼ぐ予定でしたが、腰の治りが悪くカイロプラクティックの治療費に変わりました(泣)

ただアドバイスされたサラシを毎日しつこく巻いていたら痛みが取れて、高校卒業後2か月待って東京にプロボクサーを目指して上京しました。電車で1時間ですぐでしたけど(笑)

ボクサー生活は色々ありましたが、東日本新人王決勝戦まで行きましたが、その後数戦して辞めました。

 

その頃は、ボクシング始めた頃とは180度考えが変わって

 

『会社員ってえらいじゃん 会社員になりたい』

 

と思ってました。

『会社の歯車の1部 にはなりたくねぇ』から

『会社の歯車の1部って大事じゃん』

に変わってました(笑)

 

 

ただ将来的に資格で独立したいという思いで

『土地家屋調査士』

を目指して

『測量士』の資格を取るべく、専門学校に行きました。

25歳の頃でした。

 

それから11年くらいは

測量会社や土地家屋調査士事務所で働いていました。

その頃、会社が終わると、亀有にあるマナベボクシングジムでトレーナーをしだして、仕事と資格勉強とトレーナー、さらに、当時働いていた土地家屋調査士事務所の先行きの不安からカイロプラクティックを思い出して、東京都江戸川区のJN整体スクールで整体を勉強し始めました。まとまりが無くなってしまいました(笑)

 

その後整体で独立を目指して、会社、資格、トレーナーを辞め、JN整体スクールによる整体の勉強と臨床を経て

2009年11月牛久市で

『つくばカイロプラクティック整体院』を開業しました。

 

開業してから

 

2009年11月 牛久市にて開業(JN整体法+SOTブロック)

 

2012年12月 現在のつくば市に移転

 

2017年4月 パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)でカイロプラクティックSOTを再度勉強しなおす

SOT ベーシック 内臓 クラニアル 診断学

    

    

※パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)は多くの柔道整復師、理学療法士、あんまマッサージ師が勉強されています。

2018年6月 東京都町田市の成瀬カイロプラクティックセンター 上野先生主催の上野教室にてオステオパシーの勉強を開始

クラニアルリリース ベーシック・アドバンスコース

内臓リリースコース

症状別コース  足関節 など

ここでの勉強が当院に大きな影響を与えていただけました。

 

2021年 現在の施術法を確立しました。